9月13日,何気なくテレビをつけたところ,
脚本家の中園ミホさんと,美輪明宏さんの対談が放送されていました。
NHKの「SWITCH 達人達」という番組です。
はじめはなんとはなしに見ていたのですが,お二人のお話にぐいぐい引き込まれてしまいました。
中園さんは,朝ドラ「花子とアン」の脚本家,美輪さんはそのドラマで語りを担当された縁で実現したこの対談。
対談のなかで中園さんは,物語の後半,戦争のあたりを書いているとき,「戦争にむかっていく空気が,すごく今と似ていて,私とても苦しかった。」とおっしゃっていました。
それを受けて,美輪さんが「今,日本だけではなく,世界中でそういう空気になっている。でもね,平和を実現する一番の鍵は文化よ。
だからこそ,『花子とアン』の持つ意味は大きい。戦争を妨げるのは文化・芸術」とおっしゃっていたのには,感銘を受けました。
そして,美輪さんは,ご自身の戦争時代の経験を話されました。
「うちのボーイをしていたさんちゃんが出征兵士で行ったんですよ。
汽車が出る寸前でタラップに立っててね,敬礼して皆さんに挨拶してたんですよ。
そうしたら後ろで遠慮深い田舎のお母さんが来てて,列車が出る寸前になったら,
あのお母さんどこに力があったのかしらって思うくらい,
こんな小さな方が私たちをバーッとどかして,
息子のさんちゃんの足にしがみついて,
『死ぬなよ!どげんことがあっても生きて帰って来いよ!』って。
そしたら憲兵みたいなのが何人か居ましてね,
お母さんの襟首掴んで,『貴様!国賊!』
『なぜ軍国の母が,立派に死んで来いと言えんのだ!』って言ったんですよ。
お母さん,鉄柱で額をぶつけて,血がダラダラ流れてらして,
あのさんちゃんのすごい目は一生忘れません。
その後,さんちゃんは戦死したんですよ。
さんちゃんが最後に見た母親の顔がね,憲兵に怒鳴られて突き飛ばされて,
血だらけになった母親の姿だったなんて,あんまり可哀想じゃありませんか。
あれがもう一生頭の中に焼きついてね。」
美輪さんも,中園さんも静かに泣いていらっしゃいました。
やはりその時代を実際に見て,聞いて,感じて,生きてきた人の言葉は,重い。
私も,胸に迫るものがありました。
「生きてほしい」
母親が,そう子どもに伝えることができない社会なんて,狂ってる。
今を生きる私はそう思うけれど,でもその狂気にみんながとりつかれていた時代が,確かにあった。
そのことを,胸に刻みつつ。
もう二度と日本が戦争をしない国でありつづけるために。
こどもを戦争に送り出す国にならないために。
今,自分ができることをしよう。
その思いをあらたにさせてくれた,素敵な対談でした。
(事務局 井深)