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故 山本弁護士を偲んで

2015年03月24日 お知らせ, スタッフブログ, 弁護士 山本政道

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故 山本弁護士との突然のお別れから、本日でちょうど1ヶ月です。
突然のことに戸惑い、誰もが深い哀しみに包まれた1ヶ月でした。

いつしか季節は冬から春へと流れ、梅や桃が咲き、ついに桜も開花し、
あれから少しずつ時間が経過したんだなと思います。

本日は、3月1日に執り行われたお別れ会(お通夜)での元事務局長の山口隆の弔辞をご紹介するとともに、長年、故 山本弁護士の担当事務をしていた事務局 頼高より、想い出のエピソードをお届けいたします。

 2015.3.1 故山本弁護士のお別れ会にて詠まれた弔辞(元事務局長 山口隆)

山本先生のご逝去の報に接し、私は深い悲しみとともに、この数日の間、先生に協力し、解決に努力した諸事件のあれこれを思いだしながら、考えてまいりました。私と先生とは私が事務局長をしていた埼玉中央法律事務所に入所して以来ですから約33年になります。本当に多くの事件に関わって来ました。入所当時はまだまだ二人とも若かったせいもあり、仕事が終わってから、よくサウナに泊まり、議論をしました。先生の事件の取り組み方は、依頼者の利益を守る、地域住民や労働者の権利を守ることとともに、権力の不法と徹底的に戦うという点では、一貫としていました。

 またその中で周囲に気配りを欠かさないという点も本当にすばらしい点でした。大宮西口再開発の強制代執行がおこなわれた際も、ハンドマイクを抱え、最後まで強制代執行反対を叫びつづけていました。その結果収用金についても、大幅な増額を勝ち取りました。国鉄分割民営化に反対する大宮市民連絡会の代表として国鉄労働者の権利を守る先頭にたっていました。国労労働者が大宮駅前で24時間のハンガーストライキを戦いました。私たちも支援や防衛のために、立ち会っていました。その夜先生は一人で、労働者の張ったテントの周りを一人で黙々と掃除をしていました。私がなぜそこまでと尋ねると、「市民に少しでも不快感を与えないのが信頼の第一歩だ」と答えていました。反面翌日の総括集会に私服警官が多数押し寄せ弾圧をはかった際には、毅然と対応し弾圧を防ぎました。

 また先生が申立てをし、マスコミ等が多数取り上げた、あるカメラ会社の倒産事件の受任申立をした際の事です。労働者がこれは不当な倒産だ、労働者の当座の金がないとの訴えに、依頼者より費用として預かっていた金員を貸し付けて援助してしまいました。私は反対しましたが、先生は「労働者が事件の本質がわかれば、必ず返してくれる、信頼しよう」と言われました。事実最終的には、組合を裏切り除名された2名以外は自発的に、感謝の言葉とともに返還してくれました。

 その他、住民運動、債務整理等々先生の数多くの事件の解決に事務局としてかかわってまいりましたが、先生の人情味にあふれる態度と戦闘的な活動には多くの事を学ばせていただきました。

 最後に今戦争をできる国作りを許さない、憲法を守れの戦い、全国でも、埼玉でも大きく広がっています。先生も埼玉で献身的に努力されるなかでの、本当に残念なご逝去でした。私は、本年2月3日、埼玉会館で行われた大集会で、先生が、若い人たちと微笑みながら、会場案内をしていた笑顔が忘れられません。
 私も、事務所も、憲法を守れ国民の命と暮らしを守れの戦いに全力で取り組むとお誓いして弔辞といたします。

2015年3月1日

山 口  隆

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2015.3.24 故 山本弁護士の事務所でのエピソード (担当事務 頼高)

今年2月24日の突然の訃報から1ヶ月がたちました。

 私が山本弁護士の事務担当をさせていただいてから10年程経ちました。ずいぶん長いことお世話になったことを改めて感じている今日この頃です。お別れが突然でしたので、まだ実感がわかず、毎日のように山本先生の机を眺めては「やっぱり今日も事務所にはいらっしゃらないんだな」と思ったりしています。

 仕事上は、事務依頼をきっちり丁寧に指示していただき、あまり迷ったり、処理上困ったりすることはありませんでした。恥ずかしながら、私が言いつけられた仕事をミスしても、いつも優しく対応していただき、そのたびに申し訳なく、また恐縮しておりました。

 2008年に一度心臓を悪くされてからは一時期仕事をセーブされていましたが、最近は夜遅くまで残っている姿を見かけていたので、何度か「お疲れになりませんか」と声をおかけしたりもしていました。定期的に通院もされており、ご自分でも気をつけられていたことはよくわかりました。
 
 山本先生は小さい子が好きで、私の子ども達が小さかった頃、休日などに時々事務所に連れて行ったときは、先生に遊んでいただいたり、お菓子をいただいたり、「近所の優しいおじさん」みたいでした。私の娘は21歳になりましたが、山本先生が大好きでした。

 また、じょうろを片手に事務所中の観葉植物に水をやって回ったりする姿や、高校野球の応援に熱心だったことや、なぜかスポーツ紙をじっくり読んでいる姿などが思い出されます。


 オール埼玉実行委員会(「集団的自衛権の行使容認した閣議決定の撤回を求めるオール埼玉総行動実行委員会」)の活動は、本当に一生懸命取り組んでおられました。実は、倒れられた2月23日の午前中も、オール埼玉実行委員会の活動で自分で車を運転し、実行委員のメンバーと一緒に団体要請に回っていたそうです。お昼頃急いで事務所に戻り、また午後の裁判に急いで出かけて行かれて、そのままお別れになってしまいました。

 山本弁護士は、「仲間たちと何か一緒に取り組む」ということが大好きだったんだなと感じています。呼びかけ文の印刷とか、宣伝物の郵送作業とか、事務方にいくらでも言いつけていただいていいのにと思ってはいたのですが、何でもご自分でやろうとなさっていました。
 亡くなった後、たくさんの方々から、お悔やみをいただき、ご依頼者や仲間に本当に頼りにされていたんだなと改めて知った次第です。

 またひょっこり遊びに来ていただいていいのにな、と思っています。

 (事務局 頼高)

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