この弁護団は、さいたま市が、公民館だよりに「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」という俳句の掲載を拒否したことに対して、表現の自由(憲法21条)や学問の自由(憲法23条)等の違反を理由にその掲載を要求しています。(その他の弁護団はコチラ)
当事務所の弁護士も8名参加しております。
市民応援団が開設したホームページがございますので、詳しくはコチラをご覧ください。
http://9jo-haiku.com/modules/newspaper/index.php?lid=31&cid=4
本日は自由法曹団の団通信に掲載された石川弁護士の文章をご紹介いたします!
「九条俳句訴訟」と各地の公民館等における「表現行為」への干渉等について
埼玉支部 石川 智士
1 公民館等における「表現行為」への干渉等について
「平和は大事」という習字を公民館に展示するのは許されたが,「九条は大事」という習字は許されなかった。
「アベ政治を許さない」というステッカーを車に貼っていたら,公民館の駐車場で公民館長から外すようにいわれた。
公民館等における市民の「表現行為」に対し,全国各地で政治的中立性を理由とした行政による干渉が続いています。市民が泣き寝入りしているケースも多いのではないでしょうか。2 単なる表現の自由の問題?
公民館等における市民の「表現行為」への干渉と聞いて,まず頭に思い浮かぶのは,憲法21条,そして公の施設利用権(地方自治法244条の2)の問題でしょうか。ただ,それだけを問題とするので足りるのでしょうか。
九条俳句訴訟弁護団(詳細は団通信1532号)も,当初はいわゆる「表現の自由」の問題を中心に検討していました。しかし現在では,表現の自由とともに,「社会教育における学習の自由」をもう一本の重要な柱として論戦を張っています。
3 公民館,そして「大人の学習権」
そもそも公民館とは,いかなる施設なのでしょうか。
根拠法である社会教育法は,公民館を「社会教育施設」(法21条)と位置付けています。公民館は,単なる公の施設とは異なる,社会教育の実践の場なのです(法20条)。
昭和21年7月5日付文部次官通達では,公民館の趣旨及び目的として,「新しい民主日本に生まれ変わる…為には教育の普及を何よりも必要とする。…今後の国民教育は青少年を対象するのみでなく,大人も子供も,…お互いの教養を高めてゆく様な方法が取られねばならない。」と記されています。さらに,公民館運営上の方針として,「公民館は謂はゞ町村民の民主主義的な訓練の実習所であるから,館内に於いては性別や老若貧富等で差別待遇することなく,お互いの人格を尊重し合って自由に討議談論するに自分の意見を率直に表明し,又他人の意見は率直に傾聴する習慣が養われる場所となる様に運営されねばならない。」「公民館は…決して画一的形式的非民主的な運営に陥らぬように注意しなければならない。」と記されています。公民館は,市民が自主学習・相互学習により自らを高めるための施設であり,その運営は民主的でなければならず,市民の社会教育活動に対しては自由が確保されなければならないのです(法12条)。
九条俳句を公民館報に載せることの意義は,社会教育関係団体たる俳句サークルの社会教育活動の中で選出された句に発表の場を確保し,社会教育の目的を達成することにも存在するのです。
弁護団は,公権力による環境醸成義務(法3条1項)という社会権的側面と,社会教育活動は干渉されない(法12条)という自由権的側面をあわせ,憲法上の人権として「大人の学習権」を主張しています。そして,法理論的側面と,公民館の実態からの帰納との双方につき,社会教育学会,公民館学会,教育法学会等の各学会から厚いご支援を戴き,立論を深化させようとしています。
研究者は,九条俳句訴訟を,公民館の社会教育における初の憲法訴訟であり,家永訴訟等に匹敵する重要な裁判と位置付けています。この裁判の判決が,公民館における「表現行為」への干渉に対するメルクマールとなる可能性もあります。
公民館を,平和で民主的な国家の礎として構想されたその原点に立ち返らせたい。それが,学会,運動体,弁護団,原告の願いであり,ひいては全国に出没する「中立性お化け」を退散させる原動力となるのかもしれません。
団員のみなさま,お力をお貸しください。
憲法における表現の自由や、学問の自由について、様々な角度から議論を重ね、より良い結果になるよう日々邁進しておりますので、今後とも応援よろしくお願い致します。