3月 1日,さいたま地区労主催の『復興支援バスツアーTO福島』に参加した。
ルートは,常磐高速道を北上し,いわき四倉港道の駅に立ち寄り,宝鏡寺,そして冨岡駅から市内を回りJヴィレッジから久ノ浜の浜風商店街へと。
行きのバスの中では,原発をなくすいわき市民の会が作成したDVD「福島原発事故 絶望から希望へ」を見て,いわき四倉港道の駅から同乗したいわき市労連のはん沢さんの話を聞き,たくさんの事を学んだ。これは,みんなに伝えなければとメモをたくさん取った。
しかし,百聞は一見にしかず,楢葉(ならは)町に入ると周りの様子が一変する。
見渡せば,山・川・田んぼがある長閑な田舎の風景,屋根瓦が一部壊れている家には白い砂袋が載せてられているが,半壊・全壊して住めなくなっているような家は一件もない。しかし,町には誰もいない。住んでいる人は誰もいない。歩いている人など居るはずもない。目に見えない,匂いもしない放射能に汚染され,誰も住むことが出来なくなったのである。町の人は,住める家を離れ,各地の避難所で生活をしている。
通る車は除染作業のトラックだけ,田んぼにはブルーのシートを被された物や黒いフレコンバックの袋の山々,作業中の田んぼには黒い袋が転々と置いてある所もある。これは,全て田んぼに背高く生え,放射能に汚染されてしまった草を刈り取って袋に入れた物である。土木用のフレコンバックは,5年持つと言われているが,雨風にさらされ,5年経ったらどうするのか・・・,原発の放射能を浴びた草を刈った後の田んぼに,再び稲が植えられるのか・・・。町の人は,自分の家にいつ戻ってこられるのか・・・。
町は今年4月に帰還時期を発表するというが,元の生活が戻ってくるのだろうか。
そして,富岡町へ。
富岡駅方面ににバスが進んで行くと,大通りには民家以外にコンビニや商店・会社などの建物も見えてくる。しかし,全ての店や会社は閉まったままとなっている。タクシー会社の前の広場には,何台ものタクシーが停められままとなっていた。しかし,全ての車のナンバープレイトは外されていた。
富岡駅に近づくに連れ,建物が半壊状態となっている。地震の影響か津波の影響か。美容室の前の時計は震災の時刻を指したまま止まっていた。
きれいな海の見える景気の良い小さな駅だったのだろう,駅,そして,駅前のホテルや飲食店,民家は地震で壊れ,津波で押し流された車は家の中に突っ込み,空き地に横転していた。
3年前の状態のまま,いや震災後の原発放射能被害のため,3年間雨風に吹きさらされ,熱い日差しを受け,放置された景色が広がっていた。
電柱は折れ,駅の歩道橋の壁には,平成23年のポスターが貼られたままになっていた。
線路には草が生い茂り,もうここには電車は走ってこない。
地震,津波の爪痕はひどい,しかし,現在各地で復興が始まっている。
しかし,ここは,福島の原発,放射能の被害のため,何も出来ないままなのである。ことばにならない思いが溢れ出る・・・。いったい,いつまでこんなことが続くのか・・・。
そして,富岡駅を後にし,バスは制限区域(帰還困難区域)ぎりぎりの場所へ向かう。
次回へ続く・・・ Zoo